黒い男

ええと、先ず、どこから話そうか。

私の父親が死んだのは2021年10月6日13時33分。直接の死因は肺炎だった。2020年から世界中で猛威を振るったパンデミックのワクチンの後遺症で歩けなくなり、拒食状態になり、私が父親の介護を続ける中で何とかして太らせようと介護保険サービスから派遣されて来た栄養士と一緒に献立を考え、父親は手作りの食事でなければ食べたくない。毎日同じものは食べたくないというので毎日違うメニューを私が作り続け、その甲斐もあってか父親の体重も微増して来て良い傾向になって来ているなと思っていたが、肺と食道とを仕分ける「弁」までもが痩せ細ってしまっていて、その弁の隙間から唾液を誤飲。その唾液にウィルスが付いていたことが原因で誤嚥性肺炎を発症してしまったのだと父親の死後、担当医からそう説明を受けた。流石の私もそこまでは防ぎようがなかった。

父親の葬式はパンデミックの国家的規模の集団自粛の隙間を縫って、極少数の親族と父親と親しい人数人とを招いて質素に済ませた。骨は私の母親が眠る築地本願寺の共同墓に納めた。

その後、父親の経営していた会社の廃業手続きと父親の準確定申告を終わらせると、暇になった。そんな時、ふと、自分の住んでいる家がとても広く感じた。母親と父親と両方とも急に居なくなり、こんな広い家に私1人がずっと住んでいてもあれだなと思うようになり、あと、我が家も築70年以上の木造建屋ということもあり、2階の廊下のフローリングの一部も波打って来ているし、いくばくか家自体も傾いてもいる。不動産屋さんが言うには、今売れば相続財産の売却と見做されるので税金の控除が受けられるという。特に思い入れもない家だったので我が家を売却することにした。

我が家の売却先はすぐに決まった。しかし、私の引っ越し先がなかなか決まらなかった。私は父親の経営していた会社で働いていたので会社の廃業イコール私の失業。つまり、現在無職の私に対して部屋を貸してくれるアパートがなかなか見つからず、何度も保証会社からNGをくらい、やっと引っ越し先が決まった頃には父親の一周忌も過ぎ、年の瀬も迫る真冬になっていた。

思い返せば、我が家として住んでいたあの一軒家は、変な家だった。

我が家は元々は遺産相続で手に入れた家だった。婆さんが1人で住んで居たが、婆さんの死後、無人のままにしておくと、あっと言う間に家は駄目になってしまうということで私がその家で一人暮らしをすることになった。私にとって、これが生まれて初めての一人暮らしだった。炊事洗濯も何もかも1人でしなければならなかったが、何もかもが新鮮で、それはそれで楽しい毎日を過ごして居た。時期的には就職氷河期と世間では言われていた頃だった。私ももちろん就職出来ず、父親の会社に籍だけは入れていたが、特にすることもなくぼんやりとして居た。

そんなある日の夜。いつものように我が家の1階の部屋で寝ていると、ちょうど私が寝ている部屋の真上に当たる2階の部屋の中を小動物が一匹、走り回るようになった。その小動物はちょっと変わった小動物だった。1階で私が寝ている布団の周りを回るかのように2階の部屋の中を走り回っているようにその小動物の足音から気付いた。何度も走り回る日が続くので、その度に2階の部屋まで行って目視をしたが、小動物らしきものはいつも見つけることが出来なかった。

小動物が2階の部屋の中をその真下の1階で寝ている私の布団の周りを走るかのように走り回っていることが日常的になった頃には、この小動物が猫なのではないか?と思うようになった。何故、猫だと思うようになったのかというと、その小動物が走る時に小さな鈴の音が聞こえることに気が付いたからだった。鈴を付けた小動物と言えば、やはり猫だろうという訳だ。ただ、やはり、猫にしては妙だったのは、この小動物は2階の部屋の中を走り回る勢いが強すぎるのか、よく壁に頭?から激突をしていた。ドスンと壁にぶつかる音がする度に壁からパラパラと土壁の欠片が少しだが降り落ちる音もした。

その当時の我が家は改装前だったのでまだ婆さんのものが色々そのままで、2階の小動物が走り回っていた部屋には部屋の中央に大きなダブルベッド(婆さんが使用していたと聞いている)が置いたままになっていたので、小動物が走り回るスペースなども無いし、ましてや、1階で寝ている私の布団の周りに沿って走り回るなんてことは物理的に不可能だった。

その後、父親がマンションを買うことになり、私も一緒にそのマンションに住むことになった。

色々あって、2011年に東日本大震災があり、我が家も被災。その改修のついでにリフォームもし、それからまた色々あって私と私の父母の3人がこの家に住むことになった。「我が家」の誕生である。そして、その頃にはもう我が家の2階を小動物が走り回ることはなくなっていた。

2020年12月16日に母親が死ぬと、父親はひどく落ち込み、食も細り、みるみると痩せて行った。

2021年に開催された東京オリンピック、パラリンピックが閉会した頃から父親がおかしなことを言うようになった。

我が家の中に誰かが居ると言い出したのだ。

最初は寝ぼけているのだろうと思っていたが、父親が「寝ている時に部屋に入って来た」とか、少し会話をしたらすごい父親の事を色々と詳しく知っていた等と言うようになり、その男は全身黒ずくめで影のように真っ黒なのだと言う。それは寝ぼけているだけで半覚醒状態で見た夢だよ。そんな影みたいな人間なんて居る訳ないじゃないかと一笑に付したら、父親はそうだよなあと言って、それからは「黒い男」のことは言わなくなった。

だが、言わなくなっただけで、この後もこの「黒い男」は父親の寝ている部屋に度々来ていたらしい。

「黒い男」のことは言わなくなったが、今度は天井を猫が走り回っていると言うようになった。この時も私は、俺がこの家で一人暮らしをしていた時に何か小動物が2階の部屋の中を走り回っているってお父さんに言ったら、お父さんは信じなかったけど、ほら、やっぱり「居る」だろう?と言ったら、そうだなあ。本当に居るんだなあと言った以降、これもやはり、天井に猫が走っているという類のことは言わなくなった。

2021年も10月になり、父親は肺炎になって居たが病院には入院したくないと言って我が家で自宅療養をしていたそんなある日、父親が「黒い男」に首を絞められたとか口の中に無理やり食べ物を詰め込まれた等と言い

トントン

私が今、住んでいるアパートの部屋の玄関のドアを軽く叩く音がした。

無視していると、また、トントンと先ほどと同じリズムで玄関のドアを叩く音がした。

こんな夜更けに誰だよと思いながら玄関のドアスコープから外を覗くと、スクエアエニックスのゲーム「ファイナルファンタジー1」に登場する白魔法使いみたいな白いフード付きマント(赤縁ではなく金縁だった)を着た女子大生くらいの若い女(黒髪で前髪ぱっつん)がその白いフードを頭に深く被ったままの姿で私の部屋の玄関の前に立って居た。おいおい、こんな夜更け(デジタル時計の表示は12時をとうに過ぎていた)に宗教の勧誘かよと思ったが、まだこの今住んでいるアパートには引っ越して来たばかりだったし、話しの種に話しだけでも聞いてやるかと思い、玄関のドアを開けたところ、外には誰も居なかった。一応、ドアの裏側に居るのかもしれないと思い、周辺も見回したが誰も居なかった。帰ったにしては足音もさせないで私がドアスコープを覗いてから玄関のドアを開けるまでのそのほんの一瞬で跡形もなく居なくなることなんて出来るものなのだろうか。

さて。どうしたものか。

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